内田康宏/岡崎市長選挙の経歴や家族は?年収や引退の可能性についても!

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市長

任期満了に伴う愛知県岡崎市長選挙は10月18日に行われます。

告示日は10月11日で、3選を目指す現職の内田康宏さん(67歳)と元民主党衆議院議員の中根康浩さん(57)の2人がともに無所属で立候補を表明しています。

今回は、現職の内田康宏さんの、

・経歴
・家族
・年収
・引退の可能性など

について記事をまとめてみたいと思います。

 
 

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内田康宏/岡崎市長選挙の経歴は?

岡崎市長選挙に立候補を表明している内田康宏(うちだ やすひろ)さんの経歴は次の通りです。

名  前:内田康宏(うちだ やすひろ)
生年月日:1952年12月23日
出身地 :岡崎市(旧康生町)
出身校 :日本大学法学部政治経済学科
趣味  :海のスポーツ(ヨット、ダイビング)、読書、映画、音楽鑑賞、カメラなど
座右の銘:「我が志によって立ち、我が旗のもとに倒れる、もって悔いなし」(自作)
     「天下為公」(孫文)
     「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し」(徳川家康)
     「迷うな!風は勇者の念ずる方向へ吹く」(ネルソン提督)

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内田康宏さんは大学卒業後の1975年3月渡米し、ニューヨーク大学で語学を学び、翌年インディアナ大学に入学して政治学を専攻。2年後に帰国し、1979年に安倍晋太郎衆議院議員の下で秘書として政治家を目指す第一歩を踏み出します。

翌1980年の第36回衆議院議員選挙に立候補するも落選。7年の地道な活動を重ねて、1987年ようやく愛知県議会議員に出馬し初当選しました。以後2011年の選挙まで7期連続当選。この間、県議会では治安常任委員長、総務企画常任委員長、愛知県監査委員、第95代副議長、第86代議長など要職を歴任。

議長としては、全国都道府県議会議長会の副会長も務めています。また政党人として、自民党愛知県連・青年局長、同本部・青年局次長、同岡崎支部長、同県連・政務調査会長、県議団政務調査会長などほとんどの役職を担っています。

そして、県議7期目当選の翌年2012年4月、市長選挙への出馬を表明、9月に県議会議員を辞し、10月、対立候補の「日本一愛知の会」の元県議会議員を約4,400票の差で制して初当選を果たしました。

内田康宏さんは市長として、まず「民間活力を生かしたまちづくり」を提唱し、単なる口約束に終わらせず「岡崎活性化本部」を立ち上げます。本部長に商工会議所の副会頭が就任し、事務所も同会議所内に置いて町おこしの推進力とするなど、公民協働、公民連携による地域の活性化に努めてきています。

また独自設置は財政負担が大きすぎて不可能な大きな課題、争点になっていた高度医療機関の整備も、2014年学校法人藤田学園と新病院設置の協定書を締結。足かけ6年かけて2020年3月に一般病床400床の「藤田保健衛生大学 岡崎医療センター」が開院しています。

最近では、市のゴミ焼却施設「クリーンセンター」の余熱で作る電気を市内に優先的に販売するために、市と民間企業4社が出資して「(株)岡崎さくら電力」を設立。これまで市外の電力会社に販売していたのを市内の公共施設に販売し、結果約3%の経費節減になり、さらにエネルギーの地産地消や低炭素化にも繋がるとされています。これは、自治体独自のエネルギー政策として注目を集めているようです。

内田康宏さんは、2期目の選挙は共産党推薦の新人候補に圧勝、今回が3期目の戦いになります。対立候補の動きが早く、2019年末には立候補を表明し、後援会活動を積極的に展開しています。

 
 

内田康宏/岡崎市長選挙の家族は?

内田康宏さんは、明確な公私の区別をお持ちのようです。ホームページの「プロフィール」は、「妻、二男一女、犬一匹、猫10匹(雑種)、熱帯魚20匹」とだけあります。

ざっくばらんな受け答えのインタビューコーナーもあるのですが、家庭についてのやりとりはありません。

内田康宏/岡崎市長選挙の年収は?

内田康宏さんは岡崎市長の現職なので、

市長報酬は一ヶ月111万6,000円、期末手当は年3.350ヶ月分となっています。
したがって、
年収は、  111万6,000×12ヶ月    =1,339万2,000円
期末手当は、111万6,000円×3.35ヶ月分 = 373万8,600円
合計で、1,713万,600円になります。

内田康宏/岡崎市長選挙の引退の可能性は?

内田康宏さんは昨年のうちに3戦出馬を表明していますので、引退の可能性は低いと思われます。

内田康宏/岡崎市長選挙の選挙結果や得票率は?

これまでの市長選の結果と得票率は以下の通りです。

2012年選挙の得票率は、54.519% 当選
2016年選挙の得票率は、71.269% 当選

まとめ

内田康宏さんは、大学を出ると同時に渡米して政治学を学び、3年で帰国すると自民党の有力代議士の秘書になり、1年後には衆院選に立候補という慌ただしく若々しい時代を経て、35歳で県議会議員として政治家の道を踏み出しています。

以後連続7期当選。議長職はもちろん、上部団体である都道府県議会議長会でも副会長の要職も、また県の議会選出監査委員を務めています。県議を7期も務めれば、もはや県議会では、県庁内でも押しも押されもせぬ重鎮です。議員として就くべき役職はほとんどすべて就き、もはや「議会に居るだけで影響力を持つ」、そんな存在になっていただろうと推測されます。

少し穿った見方かも知れませんが、内田康宏さんにとって市長選は、県議会でのぼるところまでのぼりつめ、もう特に担いたい役職はない、そんな状況下で目の前に現れたのではないでしょうか。
4期目の現職が立候を補辞退することを表明。7期当選を果たしたばかりながら、ある種の使命感のような思いで立候補を決意したのではと思われます。おそらくその時の内田康宏さんの立場に立てば、誰でも出馬を決意したのではないか、そんな客観的な状況が推測されるのです。

内田康宏さんは、その時地方政治に関わって4半世紀、県議会議員として、また自民党役員としてもほとんどの役職を経験してきていました。最適任者、願ってもない候補者だったとも言えます。

市長就任後の主な施策は、ホームページで確認することができます。市民協働、公民協働によるまちおこし・地域づくり、市民との対話を柱に、ソフト・ハード両面のさまざまな地域インフラ整備に取り組んで現在に至っています。道の駅、公園、市立病院の設備拡充、高度医療機関誘致、また地域の文化活動の支援、愛知トリエンナーレ、海外交流などなどその施策は多様多彩です。内田康宏さんの政治力、政策力、実行力は、それら成果を一瞥するだけでも十分理解できます。また公民連携による地域電力会社の設立に見られるように、今必要な自治体運営の基本がきちんと踏まえられています。

今回の対立候補は、元民主党の衆議院議員経験者です。内田康宏さんとは違って国会議員としての活動経験があります。名前もよく知られた人です。しかし2期8年の実績の成果でしょう、今回内田康宏さんはその民主党の母体であった労働組合の連合、また立憲民主党の推薦も受けています。党派を超えた幅広い支持の広がりが感じられます。岡崎市有権者31万人(2019年参院選時)の判断が待たれるところです。

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