高垣広徳/東広島市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果も!

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市長

任期満了に伴う広島県東広島市長選挙(2022年1月23日告示、1月30日投開票)に現職の高垣広徳氏が再選を目指して立候補する意向を表明されていますので高垣氏に関する情報をまとめています。

高垣広徳氏の

    ・経歴
    ・学歴
    ・ご家族
    ・年収
    ・実績や評判
    ・公約
    ・その他

などについて記事をまとめていこうと思います。

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高垣広徳/東広島市長選挙の経歴や家族は?

名前 高垣広徳(たかがきひろのり)
生年月日 1953年9月23日
出身地 広島県尾道市
最終学歴 大阪大学工学部土木工学科卒業
職業(前職) 東広島市長
趣味 散歩、読書、サイクリング、果樹園芸

高垣広徳氏は広島県尾道市の出身で、尾道市立山波小学校、尾道市立久保中学校、広島県立福山誠之館高校から大阪大学工学部土木工学科へと進まれました。

大学卒業後、広島県庁に入庁します。採用試験は250名程度の参加で、一人だけ採用されたとのことです。広島県三次土木建築事務所に配属されます。

その後、東京事務所都市課長、総務部秘書課課長補佐、東広島地域事務所建設局次長、福山地域事務所建設局長、土木局技監、土木局長と歴任し、2013年3月に59歳で退職されます。

退職後、東広島市に本社を置く精米機大手、株式会社サタケでエンジニアリング本部部長を務めた後、翌2014年3月に退職されました。

同年4月に広島県副知事に就任して3~4年後の2017年12月に辞職し、東広島市長選挙に立候補して当選。2018年2月から現職です。

前広島大学法学部客員教授、土木学会フェロー、技術士(建設部門・総合技術管理部門)の肩書もお持ちです。

高垣広徳氏 公式サイト

東広島市ホームページ 市長の部屋

高垣広徳氏 Twitter

高垣広徳/東広島市長選挙の学歴は?

高垣広徳氏の学歴は広島県立福山誠之館高等学校卒業、大阪大学工学部土木工学科卒業となります。

更に、社会人になってから、1997年に中央大学法学部通信教育課程も卒業されています。44歳頃です。

出身高校は?

広島県立福山誠之館高等学校の所在地は、広島県福山市です。

1879年「広島県福山中学校」(旧制中学校)として開設されました。

「誠之館」は備後福山藩主阿部正弘により創設され、廃校となった藩校「誠之館」に由来します。

現在、全日制と定時制とがあります。
難関大学とされる国立大学や有名私立大学へ多数の卒業生が進学しています。

出身大学は?

大阪大学は、大阪府吹田市に本部を置く、国立大学です。

日本で6番目の帝国大学として1931年に創設されましたが、原点は緒方洪庵が1838年に設立した適塾に見いだすことができるそうです。

現在、文学部、人間科学部、外国語学部、法学部、経済学部、理学部、医学部、歯学部、薬学部、工学部、基礎工学部の11学部と大学院等を擁しています。

同大学の関係者で特に有名なのは日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士でしょう。

湯川博士は、大阪帝国大学在籍中(1933~1939年頃 26~32歳)に中間子論の研究を進め、ノーベル賞を受賞する決め手となったπ中間子の存在の予言をしました。

高垣広徳/東広島市長選挙の家族は?

高垣広徳氏のご家族については、公式サイトに奥様と3人の娘さんの写真が掲載されていました。

高垣広徳/東広島市長選挙の年収は?

東広島市のホームページ上に「東広島市の給与・定員管理等について(2021年度)」というデータが掲載されていて、それを見る限り、高垣広徳氏の市長としての年収は基本的には15,956,500円と思われます。(通勤手当等を除く)

給与:970,000/月 × 12か月 = 11,640,000円
期末手当:970,000円/月 × 4.45か月 = 4,316,500円

ただ、今回は任期満了で更に退職金17,848,000円が支給されます。計算式は次のとおりです。

970,000 × 4年 × 4.6 = 17,848,000円

合計すると2021年の市長としての年収は33,804,500円となります。

高垣広徳/東広島市長選挙の実績や評判は?

高垣広徳氏の市政の実績・評価を検証したサイトが見付かりました。

高垣市長の評価は? 東広島市議会議員全員が回答!

【東広島の政治】高垣広徳市政の3年半を検証➀

【東広島の政治】高垣広徳市政の3年半を検証➁

【東広島の政治】高垣広徳市政の3年半を検証➂

これまでの評価は次のとおり項目別に評価されています。

「仕事づくり(イノベーション)」◎
「大学との連携」△→〇
「独自のカラー」△→〇
「西日本豪雨災害の復旧対策」◎
「前市長からの継続事業」◎
「新型コロナ対策」◎

頗る高評価でした。

その上で、記者は次のとおり記しています。

市議会議員の7割からも評価されていた。市議の評価ポイントはおおむね

➀西日本豪雨災害や新型コロナウイルスという想定外の状況に適切に対応したこと
➁時代の流れを踏まえ、将来の市の方向をきちんと定めたこと
➂産業や雇用対策でも成果を上げ、市と経済界の連携を深めたこと

―の3点に集約される。

「1点を除けば、まさに隙のない市政運営だった」。ある市議のシンプルな言葉が、高垣市政の3年半を如実に表しているといえるだろう。

その1点というのが、対市民との関係だ。アンケート結果でも分かったが、高垣市政の発信する政策について、市民の理解度は今一つ。ある市幹部職員が、「行政に精通する市職員ですら、市長の思いに付いていくので精一杯」と指摘するように、高度な政策は、市政に無関心な市民に政策を浸透させるどころか、さらに無関心層を増やすだろう。

高垣氏自身、公式サイトで、第1期⽬の主な成果を次の4項目で自己評価し、全てプラスの評価をしています。

・⼈⼝の増加
・企業の設備投資
・税収の増加
・第三者評価指標の上

今回、無投票で再選される見通しで、これも高評価を裏付けているといえそうです。

高垣広徳/東広島市長選挙の公約は?

高垣広徳氏は、「未来に挑戦する自然豊かな国際学術研究都市」をテーマに、2期目の重点施策を公式サイトで詳述しています。

ここでは項目のみを拾ってみました。

➀命と暮らしを守る体制の整備
 ・災害死ゼロを目指した防災対策
 ・感染症を踏まえた医療体制の整備

➁仕事と生活価値を創造する基盤づくり
 ・Hi-Bizの強化による中小企業者の活性化
 ・成長産業が集まり、新たな企業立地と投資の促進
 ・農業の生産性向上と観光の融合による豊かな農村生活の実現

➂誰一人取り残さない多様性と調和社会の実現
 ・安心して子どもを産み育てられる町づくり
 ・次の時代を見据えた地域共生社会の実現
 ・国際色豊かなまちの形成

➃多彩な地域の特徴を生かしたまちづくり
 ・地域別計画の推進による地域の誇りの創出
 ・希望ある未来へ挑戦するプロジェクトの展開
  (Town&Gown、スマートシティ構想、生活デザイン・工学研究所構想)

➄時代を担う子どもを育てる教育・保育の推進
 ・学校支援センター、子どもの育ち未来プロジェクトの創設
 ・個別最適な学びとGIGAスクールの発展

➅持続可能な次世代環境都市の構築
 ・脱炭素化の推進
 ・豊かな自然環境の保全と活用
 ・ゴミの減量化プロジェクトの推進

防災・医療体制整備を最優先にし、持続可能性を強く意識されている印象を受けました。

また、市を9地域に分割して地域別の将来像を設定されていたことも印象的でした。

公式サイトのホームで述べられている次の言葉に高垣氏の思いが集約されていると感じました。

今、地球が悲鳴をあげています。世界中で自然災害が発生する中、2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、私たちに新しい価値基準を示してくれました。この基準を支える 「だれ一人取り残さない」という考え方は、ともに支え合う共生社会の実現を目指そうと考えている私にとって大きな目標です。

高垣広徳/東広島市長選挙の立候補した理由は?

高垣広徳氏への特別インタビュー記事が見付かりました。

特別インタビュー 2選目指し立候補表明 東広島市長 高垣広徳氏

2期目を目指すことを決めた動機について、次のとおり述べられています。

昨年、東広島市の10年先のまちづくりを見据えた「第五次総合計画」を策定した。芽が出るのはこれからで、芽を育み、開花させたいと思ったのが直接の動機だ。プレスネットの8月12日号紙面で、7割の市議が私を評価している記事を読んだことも、2期目に挑戦する後押しになった。

至極妥当な理由と思われました。

高垣広徳/東広島市長選挙の選挙結果は?

東広島市では、交通事故に基因する体調悪化による蔵田義雄前市長の辞職に伴う市長選挙が、2018年2月に行われました。

高垣広徳氏は当時、広島県副知事をされていましたが、東広島市の経済界有志からの出馬要請を受けて立候補し、見事に当選されました。

無所属ですが、自由民主党、公明党、民進党の超党派ともいえる推薦を受けていました。

投票日2018年2月4日 高垣 広徳(新人)(無所属)  29,048票
前藤 英文(新人)(無所属)  19,921票
有田 清士(新人)(無所属)   3,169票

投票率 35.86%

高垣広徳/東広島市長選挙の引退の可能性は?

高垣広徳氏の東広島市政は現在のところ、極めて高評価です。

高垣氏は現在68歳であり、2期目も大きな失政が無く、3選もされたら満了の76歳までは務められると思われます。

まとめ

広島県庁のテクノクラートとして定年間際まで広島県政を支えた後、副知事に就任されましたが、その時期も「湯崎知事の懐刀」と評されていたそうです。

東広島市長に当選して初めて首長となられたと思われますが、この時は、西日本豪雨災害や新型コロナウイルス等、大変な事が続きました。それらを危なげなく乗り切った結果が今の高評価でしょう。

極めて優秀な方であり、無投票当選となるのは、今回については妥当と感ぜられました。