染谷絹代/島田市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果についても!

スポンサーリンク
市長

2021年5月16日告示、同23日投開票の島田市長選挙におけて立候補を表明している3名のうちの一人である染谷絹代氏の情報をまとめています。

染谷絹代氏の
・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他

についてお伝えいたします。

 
 

スポンサーリンク

染谷絹代/島田市長選挙の経歴は?

2013年島田市長選挙に初出馬し、当時現職であった桜井勝郎氏との一騎打ちで、静岡県下2人目の女性市長誕生か!と、全国からも注目されました。

この初当選を果たしてからは、2017年の市長選にも勝利し、今回は3期目を狙っての出馬となります。

プライベートについて、自ら発信している情報は見つけられませんでしたが、静岡県男女共同参画センター「あざれあ」のポータルサイトには、今は亡きご主人と二人そろってインタビューにお答えになっている記事があります。

【ねっとわぁく Vol.67+α 】染谷絹代さん(島田市長)夫妻へのインタビュー記事を全文掲載 | あざれあナビ

染谷絹代氏の経歴を、簡単な表にまとめました。

名前 染谷絹代(そめやきぬよ)
生年月日 1954年7月5日
出身地 福島県いわき市
学歴 放送大学教養学部人間の探求専攻卒業
職業(前職) 島田市長2期現職
趣味 読書、ドライブ

福島県いわき市に生まれ、小学校からは東京になっています。

親御さんの仕事の関係ではなかったかと推察しますが、定かではありません。

いわゆる指折りのお嬢様学校に通われていた経歴を見ると、大変裕福なご家庭に生まれていたのではないでしょうか。

お嬢様でありながら、ご結婚に至る経緯やご結婚されてから今までの経緯は「ぶっとんだもの」で、大変興味深いものがあります。

染谷絹代/島田市長選挙の学歴は?

染谷絹代氏の魅力的な人柄が花開くのは、ご結婚されてからという印象です。

学歴からも、それが伺い知れます。

小学校・中学校はすでにいわき市を出て、東京の目黒となっています。

小学校は東京都目黒区立鷹番小学校を卒業しています。

中学校は、今は消滅してしまった東京都目黒区立第六中学校卒業です。

2006年に目黒区立第二中学校、第五中学校、第六中学校が統合されて、目黒区立目黒中央中学校になりました。

今では目黒区立第六中学校はなく、校舎は現在改築されて、障害福祉・児童厚生施設「スマイルプラザ中央町」になっています。

中央町児童館や中央町児童館学童クラブが併設され、小、中、高校生が利用しています。

出身高校は?

指折りのお嬢様学校として知られる実践女子学園高等学校を卒業しています。

実践女学園は中高一貫ですから、通常は高校からの入学を許可していません。

当時と言えど、大差なかったと考えられます。

編入という形になるのではないでしょうか。

お家柄もさることながら、成績や素行についても申し分ないことが条件として挙げられるであろうことは、容易に察しがつきます。

出身大学は?

放送大学教養学部人間の探求専攻を卒業しています。

高校から進学しなかったのではなく、進学した実践女子大学国文学科を中退しています。

その理由は結婚です。

当時講師として実践女子大学に籍を置いていた染谷臣道氏(静岡大学名誉教授)と出会い、結婚を機に中退しました。

実際は結婚しても学業は続けるつもりであったようです。しかしご主人の帯広畜産大学へ転勤が決まって、ともに北海道へ移り住む決意をしたとのことです。

それでも1年程休学すれば復学できると考えていたようですが、北海道から次に決まった赴任地はインドネシアでした。

復学は諦めざる得なかったのです。

それでも学業への夢は捨てきれなかったのでしょう。

放送大学へ入学し、2001年に卒業を果たしました。

大変向学心や向上心がある女性といった印象です。

 
 

染谷絹代/島田市長選挙の家族は?

染谷絹代氏の家族の詳細についての情報が書かれている項目等は見つけられませんでした。

しかし、インタビュー等には、それとなくお話しされています。

そこから拾うと、文化人類学(含民族学・民俗学)の研究者であり、当時静岡大学名誉教授の故・染谷臣道氏がご主人で、3人の御子を授かったということがわかりました。

その頃、ご主人は実践女子大学の講師であり、お二人は12歳差の学生結婚だったのです。

昭和の時代ですから、染谷絹代氏のご両親も、さぞ驚かれたことでしょう。

染谷絹代氏もご主人も、大変な情熱を持って説得にあたられたことと推察します。

染谷絹代/島田市長選挙の年収は?

島田市特別職の職員の給与に関する条例によると、島田市長の月給は870,000円です。

一般企業の夏冬のボーナスに当たるのが期末手当になりますが、おおよそ4.4か月分とすると、年間400万円程度になります。

しかし削減の方向にあるのは事実ですので、他市の削減を参考にすると、100万円程度にまで削減されている例もあります。

期末手当が如何ほどなのかによってかなり違ってきますが、本給のみで1,000万円、年収1,400万円〜1,500万円の範囲ではないかと考えて妥当かと思われます。

責任の重さを鑑みるに、「高すぎる」といった印象ではありません。

染谷絹代/島田市長選挙の選挙の実績や評判は?

今回当選となれば、3期目を務めることとなります。

清潔なイメージが強く、市民に慕われている印象です。

森元総理の女性蔑視ともとれる問題発言があった時、全国で活躍する女性に対し、メディアがインタビュー等を行っていました。

染谷絹代氏もインタビューを求められ発言していましたが、その発言に対し、島田市民は肯定的にかつ好意的にとらえていました。

役所職員に対しても『心の糧となる言葉を【心養語録】として月2回発信』することを務めとし、繋がりの強化と意識の底上げを大切にしているようです。

実績については、オフィシャルサイトで公表しています。

https://someyakinuyo.net/result/

何の目的で何を行ったのかが、事細かく書かれています。

見やすいウェブサイトの構成で、社会的弱者への配慮までもが感じられます。

掲げた目標に、着々と歩みを続ける姿が垣間見られます。

 
 

染谷絹代/島田市長選挙の選挙の公約は?

島田絹代氏の政策には、3つの軸があるようです。

・誰ひとり取り残すことなく、ここに住む人々の命と暮らしを守ります。
・子どもからお年寄りまで、だれからも選ばれるまちを創ります。
・多様性のある豊かな未来を先取りする、まちづくりにチャレンジします。

この3つの軸の実現に向けて何をするのか、具体的な政策がオフィシャルサイトに掲げられています。

さすがに現職であるため、実現可能なところから始める姿勢が示され、実績と合わせて、「絵空事ではない」と信頼が寄せられるものとなっています。

https://someyakinuyo.net/policy/(オフィシャルサイト内そめやきぬ代の政策より)

染谷絹代/島田市長選挙の選挙の立候補した理由は?

染谷絹代氏は、10年間島田市の教育委員を務め、そのうちの5年は教育委員長として尽力しました。

その中で、改善すべき点や取り掛からねばならない課題などが山済みであることを知りました。

しかし、今の自分の立場では、できることの限界がある。

そこで市政の長である市長を目指したという経緯が1期目の立候補だったようです。

思い付きではなく、ずっと温めてきた思いだったとのことです。

当時の島田市の財政破綻の危機に直面していた時期でもあり、現職はともかく、新たに立候補するというのには、しり込みする風潮がありました。

今回3期目を目指す立候補となり、他の候補者から「新しい風を吹き込む」という意味のスローガンが発せられるような立場に染谷絹代氏もなったのですが、1期目の選挙は鉄壁の布陣に乗り込むような経験であったろうと推察します。

しかも島田市出身者ではなく、いわゆる余所者です。切り込んでいくには、それ相当の人間力が求められたことでしょう。

他の市長選や知事選でもよく耳にすることですが、1期の4年でことを成し得るのは難しく、遣り残したことがあり、加えて新たな課題も生まれます。

その思いからの立候補と考えられます。

染谷絹代/島田市長選挙の選挙結果は?

島田市長選挙は2021年5月16日告示、同23日投開票ですから、まだ結果は出ていません。

島田市は、すべての人にやさしい街づくりと、子育てしやすい街であることを目指してきました。

染谷絹代氏はその想いに良く応えてきたとの評価で、2期当選を果たしています。

今回もかなり優位であると考えられます。

しかし、3期目ともなれば、戦局は「追われる側」になることは必至で、他の候補者がどう切り込んでくるのかが注目されています。

市民が今までの実績をどのように評価し、どれだけ理解してきたのかが、戦局を動かすポイントです。

染谷絹代/島田市長選挙の引退の可能性は?

今回の市長選は、候補者全員が60代以上であり、だれが当選しても「若い市長が誕生した」とはなりません。

しかし60代は人生の経験値も高く、まだまだチャレンジ精神も持ちえた、市政を担う者として充実した年齢であることは間違いありません。

「するっきゃない」「やるっきゃない」の言葉を時としてお使いになる染谷絹代氏は、元気いっぱいの印象ですので、引退の可能性はまずないでしょう。

まとめ

1期目では、静岡県下2人目の女性市長でした。

ご主人は買い物、炊事、洗濯その他をすべてこなし、染谷絹代氏を全面的にバックアップしていらしたようです。

12歳も年上で、「彼女が市長にならなかったら、家事をする経験もなかっただろう」とお話になっていました。

「子育て参加も、してこなかったし、きっと今その立場になってもしない」ともお話しされていました。

家事をこなし仕事もする世の女性はすごい!と知ったとのこと。

ご家庭の染谷絹代氏への深い理解と協力は大きな武器であり、島田市に働く人々に示せる姿でもありました。

残念ながらご主人は2016年8月5日に74才でお亡くなりになっています。

ご自分が市長職で忙しくしていたことを、きっと大きな心の痛みとして感じたことでしょう。

それでも2期目に立候補し、当選しています。

その確固たる決意を感じずにはいられません。

染谷絹代氏の飾らない人柄も、市民の心をつかんでいることでしょう。

注目の市長選となります。