佐藤健/飯田市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果や得票率についても!

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市長

任期満了に伴う長野県飯田市長選挙は10月18日に行われます。
告示日は10月11日で、5選をめざす現職の牧野光朗さんと昨年3月まで牧野さんの下で8年間副市長を務めた佐藤健さんの2人がともに無所属で立候補を表明しています。1年前まで二人三脚で市政二取り組んだ2人が一転、12年ぶりの市長選でその座を争う構図となっています。

今回は、初挑戦する元副市長佐藤健さんの、

・経歴
・家族
・年収
・選挙結果や得票率

について記事をまとめてみたいと思います。

 
 

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佐藤健/飯田市長選挙の経歴は?

飯田市長選挙に立候補を表明している佐藤健(さとう たけし)さんの経歴は次の通りです。

名前:佐藤健(さとう たけし)
生年月日:1967年10月21日
出身地 :飯田市
出身校 :東大法学部
趣味  :音楽、読書
座右銘 :雨ニモマケズ(決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル)
生きがい:子育て
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佐藤健さんは、1991年4月、自治省(現総務省)に入省、キャリア官僚としての人生をスタートします。霞ヶ関では総務省財政課課長補佐(特別交付税他地方財政を担当)、経済産業省自動車課課長補佐(自動車リサイクル法を立案)、内閣官房副長官補参事官補佐(国民保護法を立案)など多くの実績を残しています。

地方では秋田県庁(地方課主事)、鳥取県庁(財政課長他、片山善博知事(当時)に師事、鳥取県西部地震を経験)、大分県庁(総務部長他、部長として初めて10日間の育児休暇を取得)など自治体幹部職員として自治体運営の経験を積んでいます。

そして2011年5月から2019年3月まで8年間、故郷飯田市の副市長を務め、その間2016年度には鼎中学校のPTA会長に就任しており、地域に溶け込んだ生活のありようが想像されます。

佐藤健さんは、2019年3月、8年間務めた副市長職を辞して、地方公務員共済組合連合会事務局長として総務省に復帰します。しかし、50歳を超え今から本省で実力発揮と思われたわずか一年後、総務省を退職。退路を明確に断って、2019年4月、4月市長選立候補を表明しました。

総務省のほとんどのキャリア職員がそうであるように、佐藤健さんも秋田県を皮切りにいくつかの県に出向し、自治体運営のノウハウを学んでいます。特に鳥取県では、自己紹介に「師事」したとある片山善博氏(現早稲田大学教授)に大きな影響を受けたことがうかがわれます。片山氏は分権改革の当時、浅野史郎宮城県知事、北川正恭三重県知事らとともに自治体改革のトップランナーと目されていた知事の1人です。佐藤健さんは、その下で国の言いなりではない県民主体の県政運営や自治体のあるべき姿について多くを学んだのではないでしょうか。

総務省から自治体の副知事、副市長として出向する場合、その期間は首長と同様の1期4年、短ければ半期の2年、いや1年ということも珍しくありません。佐藤健さんの副市長2期8年というのは本人の意志もはもちろん、市長の了解が絶対条件だともいえます。市長に拒まれたら任期途中での本省帰還も十分あり得るからです。総務相の押しつけ人事はゼロではないでしょうが、佐藤さんの場合はそれは考えられません。

総務省幹部職員の道を断って、8年間上司と仰いで共に苦労してきた現職を相手に、10万人が暮らす故郷の小さな自治体の市長職を退路を断って目指すという人生後半の大転換がいかなる理由、思いによるものなのか知りたいところですが、推測できるような情報を得ることはできませんでした。

佐藤健さんの市長選出馬のキャッチフレーズは、「ギアチェンジ 心かよう市政をつくる」で、「対話と現場主義」を行動原理として強調しています。副市長の時もそうだったそうです。そして、公表されているマニフェストは、自治運営の経験が長かっただけあってさすがといえます。10万都市には珍しいくらい具体的な項目が並んでいます。まんべんなく目配りが利いていて、政策の全体的な枠組みもしっかりしています。

「30年後に日本でいちばん住みたくなるまち」を実現するために、細かい具体的な政策がきちんと整理して示されています。飯田市の将来のあるべき姿を描いて、その実現のために良いところも(この点が現職への礼儀なのかも知れません。直接的な批判が見当たらず、具体的な将来像、政策でそれを示している感じです。)、さまざまな現実もしっかり踏まえ、「50の構想」として実際的な改革の方法、政策が提示されています。

 
 

佐藤健/飯田市長選挙の家族は?

佐藤健さんは、佐藤さんなりの私的情報の公開基準をもっているようです。ホームページの「プロフィール」は妻、一男2女(高3、中2、小4)とだけあります。

佐藤健/飯田市長選挙の年収は?

佐藤健さんは、退職時国家公務員でした。

佐藤さんの年齢(52)歳でみると、年収約877万円、給与月額56万6千円程度となっています。
ちなみに飯田市副市長時代は、給料は月額76万円、期末手当は3.35ヶ月分で254万6千円で、年収は1,166万6千円ぐらいと思われます。

佐藤健/飯田市長選挙の引退の可能性は?

今回が初出馬なので、引退の可能性は低いと思われます。

佐藤健/飯田市長選挙の選挙結果や得票率は?

今回が初めての選挙のため、過去の選挙結果や得票率の情報はありません。

まとめ

佐藤健さんのいちばんの強みは、総務省キャリア官僚出身ということでしょう。地方勤務で自治体運営の基本的ノウハウは身につけているでしょうし、片山鳥取県知事(当時)の薫陶も受けたようで、自治体の将来的なありようも実感できていると思われます。

そしてなんといっても総務省のOBです。自治体を束ねる国の機関の中堅幹部職員だったという点です。全国のその他大勢の首長とは、総務省はもちろん霞ヶ関のあらゆる窓口との距離感が決定的に違うと思われます。地元選出国会議員を通しても名刺を置くのが精一杯と言われる実務官僚に、「同じ釜の飯を食った仲間」は電話で話を済ませることができると言われるほどです。

8年間共にした上司相手の選挙ということでしょう、佐藤健さんの後援会活動にはある種の礼儀が感じられます。有力者2人による首長選挙と言えば、普通泥仕合になるのは一般的です。相手を中傷する怪文書が飛び交うというのもよく耳にする話です。

佐藤健陣営の宣伝活動には、「もっと」という言葉が頻繁に使われています。「もっと住民と協働」、「もっと国・県・市町村と連携・協力」、「もっと人が輝く」、「もっと安心して暮らせる」という具合です。8年間副市長として取り組んだが、もっともっと今度は市長としてやってみたいということでしょう。その思いが市民に届くでしょうか。結果が待たれます。