郡和子/仙台市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果も!

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市長

任期満了に伴う仙台市長選が、7月18日告示8月1日投開票で行われます。

今のところ現職の郡和子氏の立候補が表明されているのみ。郡和子氏の不戦勝となる可能性も高まります。

このままだと仙台市長選においては戦後初の無投票となってしまい、「無投票だけは避けよう」とする動きも見られます。

2017年07月09日投開票の前回の仙台市長選は郡和子氏の他3名の立候補者が名を連ねました。最終的には郡和子氏が165,452票を獲得。

自民党宮城県連・公明党県本部・日本のこころが支持していた菅原 裕典氏と2万票弱の差をつけて、初当選を果たしました。

無投票のまま郡和子氏の2期目が決定すれば、郡和子氏の市政を白紙委任することになります。

現職が次期も狙う選挙の場合、今の舵取りが市民の声を汲み取っていたか、間違えた方向に行っていなかったかといった、審判の場でもあります。

無投票で続投ということとなれば、不満や不安の声、アンチ郡和子の声が、市政に届かないということになってしまいます。

今回の仙台市長選挙の経緯を簡単に説明します。

自民党市議菊地崇良氏は、4月に出馬の意思を固めていました。しかし、6月23日、立候補の断念を表明。

「新型コロナウイルス対策に予断を許さない状況下で、有権者に政策を訴える時間と手法にはかなりの制約があり、難しいと判断した。」というのが、今回の出馬は見送る理由としています。

自民党市連、また多数野党として郡和子市政1期目をスタートさせた現職市議の中にも、任期満了を迎えた今、郡和子氏を評価する声が少なくありません。

菊地崇良氏は「良い勝負ができる」ところまで届かなかったというのが正直なところでしょう。

そこでかねてより、自民党市議の菊地崇良氏が立候補せず、郡和子氏との一騎打ちになる場合のみ出馬すると表明していたのが、新人・元衆院議員加納三代氏です。

加納三代氏が立候補するか否かが注目されています。

加納三代氏は、2012年に自民党公認で衆院選に立候補し、比例東北で初当選を果たしました。2017年の仙台市長選で落選した3名のうちの一人でもあります。

蓋を開けてみないとわからないとは言うものの、勝算としてはかなり低く、菊地氏のような「断念する選択」も当然「有り」の状況です。

あえて立候補するのであれば、少数派の意志や声を届ける機会を市民に失わさせないための立候補だと理解できます。

このような姿勢は、どこかで必ず実を結ぶのではないかと考えられます。

さておき、ここでは今回2期目を狙う立候補となった郡和子氏の

・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他

について、前回の市長選を振り返りつつ、お伝えいたします。

 

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郡和子/仙台市長選挙の経歴は?

2017年、東日本大震災からの復興後の街づくりや少子高齢化等の深刻な問題を抱えた上に、少数与党となる市議会への対応も目下の問題として、郡和子氏の仙台市長1期目がスタートしました。民進、社民両党宮城県連支持、共産党県委員会、自由党支援を受けての立候補の結果でした。

あれから4年、自民党市連の中からも支持の声が聞かれるなど、市長としての活躍は、一定以上の評価を得ていると判断できます。

経歴を、簡単な表にしています。

名前 郡和子(こおり かずこ)
生年月日 1957年3月31日
身長等 身長:164cm 血液型:A型
出身地 仙台市
最終学歴 東北学院大学 経済学部卒業
職業(前職) 仙台市長
趣味 スポーツ観戦・地元プロサッカーチーム「ベガルタ仙台」がごひいき・日本酒を飲んでリフレッシュ
座右の銘 誠実・果敢
尊敬する人 加藤 シヅエ
好きな作家 伊坂 幸太郎

座右の銘が誠実・果敢

実にシンプルで、個人的には艱難汝を玉にす!などと言われるよりは、好感が持てます。

尊敬する人に、加藤 シヅエを挙げています。

誰を尊敬しているのかは、その人の本質に近いものです。

加藤シズエとは、どういった人だったのでしょう。蛇足ですが、加筆しておきます。

1897年(明治30年)3月2日 に生まれ、104歳となった2001年(平成13年)12月に死去。
人生の大半を政治家・婦人解放運動家としてささげた人物です。
石本恵吉男爵(石本新六の子)と一度目の結婚し、男爵が在籍していた三井財閥系の三井鉱山の関係で、三井三池炭鉱へ移り住むこととなりました。
炭鉱町の実態調査が任でありましたが、そこで働く人々の悲惨な状況を目の当たりにします。

望まぬ妊娠と不衛生な堕胎から女を守るという意識を強くし、産児調節運動を開始。母体保護の重要性と「不良な子孫の出生の防止」を訴えつづけました。
戦争が一家の状況を一変させ、離婚。労働運動家の加藤勘十と再婚します。

戦後の1946年4月に行われた第22回衆議院議員総選挙において、GHQの要請を受けた形で立候補。この選挙で初の女性代議士39名が誕生しましたが、そのうちの一人となりました。
日本社会党に入党しています。
GHQの指導に従って産児制限の立法化。人工妊娠中絶と不妊手術を合法化する目的で、1947年12月に優生保護法の法案を提出(福田昌子と太田典礼との連名)。
翌年に優生保護法が成立しました。
1950年に参院選に出馬。当選して引退まで参議院議員として、政治家人生を全うしました。

この優生保護法が望まぬ妊娠から女性を守り、堕胎という選択肢を与えました。
しかし反面、障害者やハンセン病患者の強制不妊手術の問題の根源となる法律でもありました。
1996年「母体保護法」へと改正されるまで、健康な子どもだけが産まれるように、障害をもつ人に子どもを産ませないという規定を設けた優生政策的なこの法律は生きていました。ぞっとする話です。

この法律が生まれた背景には、戦時中の「産めよ増やせよ」の政策の下、堕胎も許されず、婦人の人権が無視され続けたということと、戦後の爆発寸前の人口増加がありました。
婦人の人権を尊重するとともに、人口調整をするならば、優れた子供が生まれるようにせねばならないといった優性保護思想が根強くあったのは事実です。
実際に優生保護法の法案の提出の理由に、「国民優生法が実際には悪質の遺伝防止の目的を達することが、ほとんどできないでいる」と挙げました。

売春禁止法の神近市子や婦人参政権・公娼制度復活反対・売春禁止等に尽力した市川房江などと共に、個人的には「なんと偏狭で独善的な…」と思うところも無きにしも非ずです。
売春を禁止したから、闇に隠れ、犯罪を引き起こす芽となったと思わないでもありません。
GHQの尻尾付きではないかと釈然としません。個人的には好きになれないのが正直なところです。
しかし多くの女性政治家は、この3人の名を、尊敬している人としてあげます。

なぜだ?とずっと考えてきましたが、この女性たちが必死で門戸を開かねば、今の女性の活躍はありません。
どれだけの苦労があったのかは、察して余りあります。
現在政治の場のみならず、女性が活躍できているのは、またここから進歩して行こうと動けるのは、戦前戦後の時代に命を懸けて力を尽くしたこの女性たちがいたからに他なりません。
そこに郡和子氏も感謝とリスペクトを捧げているのではないでしょうか。

郡和子/仙台市長選挙の学歴は?

仙台に生まれ、仙台で育ち…というのが、郡和子氏です。

仙台市立長町小学校を卒業し、仙台市立秋保中学校を卒業しています。

秋保中学校は本砂金地区にありますが、「え?砂金?」と二度見してしまいそうになります。

「砂金」は宮城県に多い苗字であり、昔々砂金が取れたことに由来するのでは?とも言われています。

本砂金は「もといさご」と読みます。名字になっても砂金は「いさご」です。

郡和子氏は、秋保大滝や磊々峡、秋保温泉や二口温泉といった観光資源が豊かなこの地で育ったのですね。

出身高校は?

宮城県立第二女子高等学校を卒業しています。

県都である仙台市には、校名に数字を冠したナンバースクールと呼ばれる4つの県立高等学校学校があります。

宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第二高等学校
宮城県宮城第一高等学校(旧・宮城県第一女子高等学校)
宮城県仙台二華中学校・高等学校(旧・宮城県第二女子高等学校)※中高一貫校

明治時代に創立された旧制中学校・高等女学校の伝統を継承しているのですが、いづれも入学難易度・進学実績が高い学校となっています。

群和子氏が卒業した宮城県立第二女子高等学校は消滅し、現在中高一貫の宮城県仙台二華中学校・高等学校になっています。

出身大学は?

東北学院大学 経済学部を卒業しています。

キリスト教教育に基づく教養教育型大学の私大です。学院大(がくいんだい)と呼ばれています。

1886年に北日本最古のミッションスクール「仙台神学校」として開校しました。

きっとカレッジリングがあるはず!と調べてみると、ありました。ミッション系は、カレッジリングが大好きですよねー。

卒業後は?

東北放送(株)に入社。

解説委員・報道制作局部長などを歴任しつつ、アナウンサーとして26年勤めました。

東北放送時代の華々しい受賞歴が、オフィシャルウェブサイトに紹介されていました。

・浅野宮城県知事(当時)の選挙戦を追ったドキュメンタリー「あれは民主主義の学校だったのか」で、民間放送連盟賞優秀賞 受賞
・在日だった地元野球選手 波山次郎と帰国事業を追ったドキュメンタリー「北へ渡ったヒーロー~北朝鮮帰国事業とは何だったのか~」で、ギャラクシー賞選奨受賞
・アナウンスメントでは自ら制作した「女たちの 50 年~いのちの歌が聞こえる~」で、アノンシスト賞ラジオ朗読部門で日本一

 
 

郡和子/仙台市長選挙の家族は?

長女との3人家族だということです。

お名前や年齢等は、探し出すことができませんでした。

歯に衣着せぬ発言が議員時代から取りざたされることが多かった群和子氏のご家族ですから、きっと精神的にタフなのではないか、タフにならざる得なかったのではないか…と推察します。

郡和子/仙台市長選挙の年収は?

仙台市長の年収は、期末手当も含み、おおよそ約1860万円程度です。

2011年の震災以降、以前と比べ7%程の削減を行っています。

また、不祥事その他があれば、給与カットを行いますので、定まっていても必ずしもその金額が手の乗るということもでもなさそうです。

現に7月から2021年3月までの月額給与を、郡和子市長は10%減額しました。

新型コロナウイルス対策の財源に充てるためのものでした。

多いと感じるか妥当と考えるかではなく、その市長にそんなにあげたくないと市民が思うか、その分きちんと働いてくれていると感じるかです。

それを選挙に反映させたいところですが、一人しか立候補しない状態であれば、それもかないません。

郡和子/仙台市長選挙の選挙の実績や評判は?

宮城1区から民主党公認で出馬した2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙にて、自由民主党の土井亨に敗れたものの、比例東北ブロックで復活。初当選を果たしました。

2005年 第44回衆議院議員選挙で初当選(東北比例)
2009年 第45回衆議院議員選挙2期目当選
2012年 第46回衆議院議員選挙3期目当選(東北比例)
2014年 第47回衆議院議員選挙4期目当選(東北比例)

それ以降、衆議院議員として12年、国政の場で活躍していました。

ただしそのほとんどが、比例代表による当選かと思うと、なんとなくガッカリ感が伴います。

2017年の仙台市長選の勝利は、そういったガッカリ感を払拭するものとなったでしょう。

民主党 筆頭副幹事長
民主党男女共同参画委員会 委員長
民主党政策調査会副会長
東日本大震災復興対策担当大臣政務官
復興大臣政務官(宮城復興局担当)
内閣府大臣政務官(行政刷新、社会保障・税一体改革、公務員制度改革、拉致問題などを担当)
民主党宮城県総支部連合会幹事長
消費者特別委員会 筆頭理事
ネクストキャビネット復興大臣

2007年1月26日付けの日記にて、安倍晋三の施政方針演説によせて「安倍さんの演説は、現場を知らない官僚の作った政策を「美しい国」というラップをかぶせ、現実を見ようとしない、はなはだいい加減、しかも、安倍さん自身の心が微塵も感じられないお粗末な演説だった」と述べ、2008年9月29日付の日記では、麻生太郎の所信表明演説によせて「明治以来歴代の総理を称賛し戦争への誤った道を歩んだ政権も是とするような、驚きの所信表明演説でした。…中略…驚きと合わせこの国の未来が危険にさらされるのではないかという気持ちを強くさせるものでした。」と述べています。

この日記の文言は、メディアでも取り上げられています。

その他

東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟(幹事)
立憲フォーラム(幹事)
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
海事振興連盟
国際観光産業振興議員連盟
日韓議員連盟

等でも活躍しています。

ユーチューブの仙台人図鑑に招かれた郡和子市長の回がありました。

2006年3月15日に自身も日本の慰安婦問題に関わる水曜デモに参加し、自らもマイクを持ち「1日も早い謝罪と補償を」と主張しました。

また、2011年12月14日に韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyoにも参加。

慰安婦問題への積極的な取り組みが伺えます。

水曜デモは、初期から参加してきた元慰安婦が2020年に「支援団体の寄付金集めに使われただけで憎しみと傷だけを教えるだけの集会」として中止を要求しているなど、方向性が郡和子氏が参加していた時代と変わってきたのでしょうか。2011年の水曜デモ以降の参加は不明です。

受動喫煙防止法への対応や、この水曜デモへの参加等と、「尊敬する人・加藤 シヅエ」の情報から見て、少々ザワッとしないことはありません。

もしかすると偏狭的で独善的なところがあるのではないかしら…という点においてです。

しかし、復興への道がまだまだ続き、その他の問題も重なりつつ、癒着となれ合いが横行できる隙間があるような今の時期、クリーンで尚且つ強いリーダーシップで牽引できる郡和子氏のような候補者が望まれているのかもしれません。

偏狭で独断的であることの裏返しは、クリーンさであるとも言えるのです。

多数野党である議会との関わりも、「群和子だからこそ乗り切った」と評される手腕を見せました。

選択的夫婦別姓制度の導入については、賛成の姿勢を見せています。

日常的な活動を、郡和子事務所のFacebookでオフィシャルアカウントで、発信しています。

 

郡和子/仙台市長選挙の選挙の公約は?

市民とともに「いのち」を守る。市民の力で「仙台(みらい)」を創る。これが郡和子氏のスローガンです。

政治家として13年、常に現場を大切にしてきました。

そこには市民の生活があるからです。

だからこそ知っています。

市民の「いのち」や子どもたちの「未来」、そして地域の「文化」、私たちには守るべきもの、

まずはセーフティーネットをしっかり整備しながら、「誰にでも居場所と出番がある仙台」を創りたいと思っています。

と語っています。

重点政策として、7つの項目を挙げています。

それは誰にでも居場所と出番がある仙台を作るためのものです。

市立中学生自死事件の徹底究明と「いじめ防止条例(仮称)」の策定。いじめ調査に「ご遺族が推薦する団体からの委員」を選任して取り組むとともに、再発防止に全力を尽くします。
◆35人以下学級の実現と副担任の増員。児童・生徒一人ひとりに目が届くよう教職員体制を強化します。
◆若者の地元定着を支援する仙台版「給付型奨学金」の創設を目指します。
◆まずは、地元企業と起業の徹底支援。地元企業優先発注、食とエネルギーの地産地消で中小企業・地元雇用を徹底支援するとともに、地域貢献度の高い中小企業を応援する「仙台四方よし企業大賞」を発展させ、更なる経済活性化を図ります。
◆妊娠から出産・子育てまでを切れ目なく支援する仙台版「ネウボラ(フィンランドの先進的取り組み)」を創設し、女性の社会参加を支援・推進します。
◆日常生活圏域を単位とするまちづくり。町内会や商店街・NPOなど市民参画による「せんだい協働プラットホーム(仮称)」を立ち上げます。地域の課題を地域が中心となって解決していく仕組みをつくります。
◆「杜の都」の魅力向上と「伊達文化」の再興。杜の都仙台のきれいな空気と水と緑を守り、大手門復元や貞山堀・四ツ谷用水・若林城跡など伊達文化を最大限活用します。

ここでネウボラについて、加筆しておきます。

日本各地で〇〇版ネウボラなる言葉をよく聞くようになりました。

ネウボラとは、フィンランド語で“相談の場”という意味です。

妊娠や出産、子育ての支援をする拠点を行政が提供しているもので、日本で近いものは保健センターです。

しかし日本のものと決定的な違いがあります。

日本は1家族に1人の継続して担当する担当者が付くわけではありません。

案件ごとに担当者が付くにとどまります。

しかしネウボラでは、拠点の担当地区にある妊産婦や家族を、妊娠中から子どもが小学校に就学するまでも期間、同じ保健師が継続支援を行います。

担当の保健師は、母子健康手帳の交付や妊婦健診、乳幼児健康診断(以下、乳幼児健診)など、それらのすべてを支援を行います。

妊婦だけではく、夫やパートナー、お兄ちゃんお姉ちゃんといった先に生まれた子供対しても健康診査を行い、様々な不安などを聞き取っては、適宜なアドバイスを行ないます。

子どもが6歳になるまで、最低でも15回の担当保健師による健康診査を受けることができ、予防接種等もネウボラで受けることができます。

家庭個々の育児力の強化にも寄与するシステムです。


市民とともにいのちを守る政策としては、

●いじめ問題への対応と教育改革

・教育委員会の機能強化と人権尊重の意識を高める教育の推進
・小・中学校の連携強化とスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置拡充による不登校への対応、いじめの早期発見
・配慮が必要な児童・生徒のための「個別支援計画」の実践と通級指導教室の増設
・学習サポートやフリースクールなど家庭と地域の連携による子どもの居場所づくり

●地域福祉の充実

・事業者による保育所設置支援など待機児童の早期解消と休日保育の拡充
・仙台市立病院に「病児病後児保育所」と「性暴力被害者ワンストップ支援センター(仮称)」を設置
「障がい者差別解消条例」の理解促進と障がい者の活動促進
・地域包括ケアシステム強化のためのICT活用や医療・介護・見守り連携、相互扶助の仕組みづくり
・高齢者の元気づくりのため、パークゴルフ場などのスポーツ施設整備と機会の拡大

●心の復興

・子どもたちへの長期的「心のケア」と「被災者全体の心の復興」
・復興公営住宅での孤独死防止策の継続とコミュニティ形成の支援強化
・貞山堀など地域の自然・歴史・文化を尊重した被災跡地の利活用と賑わいづくり
・東部かさ上げ道路・避難道路・圃場の早期完成

また市民の力で{SENDAI}を創る とし

●市民協働のまちづくり

・“前例主義”から“創例主義”へ、職員の意識を「まちづくりプロデューサー」へと改革
・女性や学生・障がい者・外国人など多様な人材の活躍促進
・公共交通サービスの向上と総合的交通体系の改善
・学生によるまちづくり提案と実践「学都仙台会議(仮称)」の創設を検討
・「仙台防災枠組み(国連防災世界会議で採択)」の展開と地域特性に応じた防災・減災活動の促進及び災害時の地域主権(権限移譲等)の推進

●地元企業の活性化と雇用創出を徹底支援

・事業継承や第二創業・ベンチャー支援の強化
・既存資源(空き家・空き店舗・耕作放棄地等)を有効活用する循環型社会の構築
・リノベーションや新しい機能の付加などによる商店街の魅力向上
・地下鉄東西線沿線の魅力的なまちづくりの推進
・国際的・全国的会議・スポーツ・イベント等の誘致・開催による国内外からの交流人口の拡大
・AIやICT・ロボット・ドローンなど近未来技術による産業振興とアニメなどコンテンツ産業の育成と雇用の創出
・地産地消による都市型農業の振興と、食の安全と品質等に関する国際基準「グローバルGAP」認証取得による農産物のブランド力の向上・販路拡大
・保育士・介護士の処遇改善と人材確保

●市民の健康増進と「杜の都」にふさわしいまちづくり

・省エネ・ごみの減量など環境配慮型行動の実践強化
・「パリ協定」の精神を生かし、石炭火力発電等の環境配慮促進と説明責任・住民コミュニケーションの向上、安心・安全な自然エネルギーの普及拡大による低炭素社会の実現
・道路空間(定禅寺通り・宮城野通等)の活用による賑わい創出に向けた環境整備
・市役所の建て替えと音楽ホールの整備は、優先順位と手法の再検証で経費削減

を、提示しています。

オフィシャルウェブサイトでもしっかりと提示していますので、ご覧になってください。

郡和子/仙台市長選挙の選挙の立候補した理由は?

「仙台の街をさらなる高みへ導くために、次の任期も全身全霊を傾注したい」というのが、今回再選を狙う立候補の理由となっています。

「コロナ禍で子どもや若者、女性への影響が生じている。貧困の連鎖といった社会的課題に対しては政治の力が必要だ」と続けました。

政党への推薦を求めず、無所属で出馬します。

1期目の公約の成果について、いじめ防止条例の制定などに触れ、「おおむね道筋を付けることができた」と自らを評価しています。

また4月に始動した市基本計画(2021~30年度)についても、「この街が仙台らしく発展していくためにも」と、継続して自らの手で責任を果たす意向を示しました。

ここで、郡和子2017年の市長選挙を振り返ってみましょう。

2017年仙台市長選を振り返る

2017年の仙台市長選は、無所属の新人4人が立候補し、与野党対決が軸の激戦になると予想されていました。

自民党県連と公明党県本部が支持し、当時の現職奥山恵美子市長からも支援を取り付けた株式会社 清月記代表取締役の菅原 裕典氏は、一代で葬儀会社を興した経営手腕をアピール。

民進党を離党し、政党とは距離を置いた決死の覚悟で臨んだのは、農業コンサルタントで元衆院議員の林 宙紀氏

支援の核は仙台一高の同窓生という、数に不安のある状態で挑みました。

結婚と離婚、再婚を経て今は加納三代となっている元衆議院議員の大久保三代氏は、無所属で政党や団体の支援を受けずに立候補。しがらみのなさをアピールしました。

当時は、仙台は比較的復興が進んでいるもまだまだという東日本大震災からの復興の問題や、いじめを受けた市立中生徒の自殺が相次いだ問題などがあり、4者それぞれが問題解決へのアプローチを打ち出していました。

巷では加計学園問題なども浮上し、にぎわっていた時期です。

知名度が圧倒的に高く、いじめ問題関してもいじめ防止対策推進法の立法に関わった経験や、市立中生徒の自殺が相次いだ問題の原因究明と条例の策定を強く訴える具体的な公約が市民の心に届き、ふたを開けてみれば郡和子氏と菅原 裕典氏が票を二分する戦いでした。

結果、民進党県連と社民党県連合が支持、共産党県委員会が支援を表明し、多数の労働組合から支援を得ていた郡和子氏が当選。

「地域主権をしっかりと掲げ、透明な、市民が真ん中に来る行政を皆さんと一緒につくりたい」と所信演説を行いました。

郡和子/仙台市長挙の選挙結果は?

1期目は、先の市長に対する批判票なども入り、知名度も充分な郡和子氏にとっては有利な点も多く見られた選挙戦でした。

しかし今回は2期目。市民が任期中の群和子氏の働きをどう評価しているのか、審判が下される選挙でもあります。

当選したとしても、前回よりも票が伸びなければ、市民は何らかの不満や不安を抱えているのではなかろうかと見ることができるのです。

さて、群和子氏の今回の選挙は、どのような結果をもたらすのでしょう。

少なくとも、無投票での当選だけは避けたいところです。

郡和子/仙台市長選挙の引退の可能性は?

引退の可能性は、今のところ見受けられません。

しかし、いつの日か落選しないとも限りません。

今の時点での落選であれば、再度の挑戦も考えられますが、2期3期と続投した後の落選となれば、引退も考えられます。

まとめ

松山町(現大崎市)で55年に起きた一家4人の殺人および放火事件の重要参考人として名前が挙がった斎藤幸夫さんは、警察の卑劣な取調べによって自白に追い込まれ、自白に頼る形で死刑が確定しました。世にいう松山事件です。

示談成立している喧嘩を傷害事件としての別件容疑で、身柄を確保してのことです。何から何まで無理がありました。

後に再審が認められ1984年(昭和59年)7月11日、無罪判決がおりました。

冤罪による28年7ヶ月の獄中生活に対し刑事補償金7516万8000円が支払われましたが、そのお金は裁判費用の借金返済に消え果てました。

長期間死刑囚として過ごした間の年金が支給されることはなく、思うように働けなくなってからは、生活保護を受けての生活。

24歳で逮捕され、出てきたのは50歳過ぎであり、あまりに理不尽でした。

人生の大半を無実の罪で投獄されてしまった斎藤幸夫さんを、郡和子氏は東北放送時代に追いました。
一升瓶を手土産に腰を据えて斎藤氏と向き合い、寄り添いつつ、心からの声を聞こうとしました。

その経験の中で、「社会の目の届かない所で、思わぬ人生を歩まざるを得ない人たちがいる。でもそれは政治が解決できる問題だ」と確信し、政治の世界に飛び込む決意を固めたとのことです。

「正義とは」という永遠の課題に向き合う人なのかもしれません。

今回の仙台市長選で、1期目の評価はどのように下されるのでしょう。

注目すべき選挙戦です。