粉川昭一/日光市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果についても!

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市長

大嶋一生市長の死去に伴う日光市長選挙(2021年5月16日告示、5月23日投開票)に日光市議の粉川昭一(こなかわしょういち)氏が立候補を表明しましたので粉川昭一氏に関する情報をまとめています。

粉川氏の

・経歴
・学歴
・家族など

について記事をまとめてみたいと思います。

 

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粉川昭一/日光市長選挙の経歴は?

名前 粉川昭一(こなかわしょういち)
生年月日 1963年12月14日
出身地 新潟県長岡市
最終学歴 栃木県立今市工業高校卒業
職業(前職) (有)協栄技研入社 相談役
趣味 不明

粉川昭一氏は高校卒業後に高速道路の施設保守関連の会社である東京道路エンジニアリング(株)入社されます。

1988年には(有)協栄技研入社の取締役に就任、1992年には代表取締役就任されます。2010年に相談役に就任され、現在に至ります。

2010年に日光市議会議員初当選され、現在まで3期勤め上げられてきました。

3期目には総務水道常任委員会やタブレット検討班リーダー、観光産業常任委員会副委員長、新型コロナウイルス感染症対策特別委員会の委員などの活動をされています。

粉川昭一/日光市長選挙の学歴は?

粉川昭一氏の最終学歴は栃木県立今市工業高校卒業です。

出身高校は?

出身高校は栃木県立今市工業高校は、地元では「いまこう」の愛称で慕われています。

1964年4月に上都賀地区唯一の単独県立工業高校として、「機械科」・「電気科」・「化学工学科」の3科を設置し創立されました。

その後、1987年4月に「建設工学科」が新たに設置され、4学科体制となりました。しかし、2007年3月に「化学工学科」が廃止されました。

現在は、「機械科」・「電気科」・「建設工学科」の3学科があります。

 

粉川昭一/日光市長選挙の家族は?

粉川昭一氏の家族について調べてみましたが、家族構成など情報は見当たりませんでした。

しかし、Facebookの情報では既婚者と表示されているのと、小学校のPTA会長と中学校のPTA副会長を務めていたという情報がありましたのでお子さんはいるかと予想できます。

粉川昭一/日光市長選挙の年収は?

粉川昭一氏の年収についてまとめました。

日光市のHPによると市議会議委の報酬は以下の通りです。

月給:38万(月収)×12か月=456万円
賞与:38万×3.3か月=125万4千円(賞与)
年収:581万4千円

日光市議時代のの年収は約581万になります。

粉川昭一/日光市長選挙の選挙の実績や評判は?

粉川昭一氏の実績ですが本人のHP(https://www.nikko-shoichikonakawa.com/)に実績が載っています。

Just a moment...

3期目となる現在は

・総務水道常任委員会
・タブレット検討班リーダー
・観光産業常任委員会副委員長

などを務められています。

また、2005年12月の同市(旧今市市)大沢小1年の女児殺害事件後に発足した、自主防犯団体「大沢ひまわり隊」の初代隊長を務めました。

粉川昭一/日光市長選挙の選挙の公約は?

粉川昭一氏の選挙公約を検索しましたが、見つかりませんでした。

ただ、前回の市長選挙では死去した大嶋一生市長の応援もしているので前市長の公約を引き継ぐ可能性が高いと思います。

そこで前市長の公約をまとめました。

・地域経済の活性化と成長戦略
・災害へ強い街へ
・防犯体制を強化
・経営感覚・女性視点の導入
・新たな収入を生み出す
・各種施策の財源確保

です。

どれも対策が急がれるものばかりですね。

粉川昭一/日光市長選挙の選挙の立候補した理由は?

粉川昭一氏が立候補した理由ですが、やはり前市長の存在が大きいようです。

粉川昭一氏と病死した大嶋一生市長とは20年以上青年会議所で活動を共にしていたみたいです。

そこで共に政策に対して議論もされていたそうです。前市長の遺志を継ぐ形でしょうか。

粉川昭一/日光市長選挙の選挙結果は?

粉川昭一氏は今回が市長選初出馬になりますので、参考までに前回の粉川氏が出馬した前回の日光市議会議員選挙を調べました。

2018年4月15日に行われて日光市議会議員選挙1,950票獲得し定数24のところを9番目で当選しています。

粉川昭一/日光市長選挙の引退の可能性は?

粉川昭一氏が仮に市長選に落選した場合は引退の可能性はあるのでしょうか?調べてみましたが、出馬に関しての会見でも政治生命をかけてなどの発言もないため引退の可能性は低いと思います。

また、現職の市議で57歳であるので、落選しても再度市議に再挑戦することも考えられます。

まとめ

粉川氏は現在、市議会議員3期目です。市長が死去したことにより出馬することになりましたが、市議会議員の地位を辞めてまでの出馬ですから相当覚悟が言ったと推測します。

また、前市長とも政策を議論していたということなので、現市政をそのまま継承する形になるのではないでしょうか。