岩永裕貴/甲賀市長選挙の経歴や家族は?年収や評判についても!

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岩永裕貴/甲賀市長選挙の経歴は?

甲賀市長選挙に立候補を表明している岩永裕貴(いわなが ひろき)さんの経歴は次の通りです。

名   前:岩永裕貴(いわなが ひろき、岩永ひろき)
生年 月日:1973年9月3日
出 身 地:甲賀市信楽町
出 身 校:ウィチタ州立大学国際政治学科卒業
趣   味:こどもと散歩
信   条:政治は結果責任
好きな言葉:自覚者が責任者(糸賀一雄氏の言葉)
岩永ひろきさんのHP(2016年市長選当時の内容)
facebook(同上)
岩永ひろき後援会のfacsbook(同上)
twitter(同上)

岩永ひろきさんは1998年大学を卒業し、帰国後は広告代理店に勤務、2003年から実父の岩永峯一衆議院議員の秘書を務め、2005年、同衆議院議員が農林水産大臣に就任したのに伴い大臣秘書官に就任しました。

2009年7月の第45回衆議院議員選挙では、父の地盤を継いで、自民党の公認を受け滋賀4区から出馬する準備をしていましたが、同年2月、父親が宗教団体から受けた寄付金を政治資金収支報告書に記載していなかったという問題が発覚。これを受け、立候補辞退を表明しました。

その後、2012年の大阪維新の会の政治塾「維新政治塾」の設立に際し、岩永ひろきさんはこのテストを受け、合格して入塾。同年12月の第46回衆議院議員選挙に日本維新の会公認で滋賀4区から出馬し、選挙区選挙では敗れましたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活、初当選を果たしました。しかし次の2014年12月の第47回衆議院議員選挙では選挙区で次点、比例区でも復活することはできませんでした。

2015年10月の維新の党(当時)の分裂に伴い、岩永ひろきさんは同党を離れ、2016年1月、おおさか維新の会の支部である滋賀維新の会を設立して代表に就き、翌月には同会の衆議院滋賀第4選挙区支部長に就任します。

しかし同年5月、10月に実施予定の甲賀市長選挙に無所属で立候補することを表明。選挙戦は、自民・公明の支持を受け4選を目指す現職との厳しい戦いでしたが、1,698票という僅差ながらこれを破り初当選を果たしました。

岩永ひろきさんの立候補のキャッチコピーは「合併から12年、今こそ新しい風を!」で、全面に打ち出したのが「新しい風」の必要性です。

客観的に見て、地元の代議士の子息で衆議院議員の経験もあり、知名度も抜群、かつて父の後を継げなかった悔しさを思う人もいるでしょうから、きわめて有利な選挙戦だったと言えなくもありません。しかし僅差の勝利は、若い市長の船出の厳しさを思わせるものだったかも知れません。

岩永ひろきさんが掲げた政策集は「市民の声で作る!甲賀市のまちづくり政策集」と銘打たれていて、例えば一番目に「行政運営の基本ルール」を挙げ、市民対話に基づく市政運営、透明性の確保、官から民へなど7項目でその内容を説明するなど、全部で13のテーマのそれぞれについて数項目の施策で内容を説明しています。それらを合計すれば、38項目にもなります。一見して、これは自治体政策のプロが作ったという感じがします。ハード・ソフト両面にわたってこれほど充実した政策を具体的に提示できる市長選新人候補はいないのではないでしょうか。

岩永ひろきさんは、今年の6月定例市議会の閉会挨拶のなかで、「『アフターコロナ』を見据えた地域経済の回復、豊かさを包摂した希望あるまちづくりに取り組みたい」として、2期目へ挑戦の決意を表明しています。

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市長
選挙立候補者研究所