畑くにお/加古川市議会議員選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果も!

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任期満了に伴う兵庫県加古川市議会議員選挙(2022年6月5日告示、6月12日投開票)に新人の畑くにお氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので畑氏に関する情報をまとめています。

畑くにお氏の

    ・経歴
    ・学歴
    ・ご家族
    ・年収
    ・実績や評判
    ・公約
    ・その他

などについて記事をまとめていこうと思います。

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畑くにお/加古川市議会議員選挙の経歴や家族は?

名前 畑くにお(はたくにお)
生年月日 1972年7月25日
出身地 兵庫県加古郡播磨町?
最終学歴 神戸村野工業高等学校電気科卒業
職業(前職) 工務店勤務(事業部長)(2022年3月末に退職。現在は政治家私設秘書)
趣味 DIY、ロープレスキュー、釣り、掃除

畑くにお氏についてはFACEBOOKの2022年4月12日付の動画の他、同月上旬の記事に詳しく述べられていました。

加古川市の隣町である兵庫県加古郡播磨町の町立播磨小学校、同町立播磨南中学校、私立神戸村野工業高等学校電気科を卒業後、FCおそうじ本舗加古川駅前店、独立開業リペアクリーンアート、株式会社浜工務店Re事業部部長(2022年3月退職)の職歴を辿られました。

工務店での畑氏の仕事は誠実そのものだったらしく、退職時はたいそう惜しまれたそうです。

現在は堀井事務所の私設秘書、日本維新の会-加古川市市政対策委員をされています。

地域活動に大変熱心で、以下のとおり歴任されてきました。

【現職】
・加古川保護司会
 … 常務理事、尾上地区代表理事、犯罪予防部会副部長、少年補導委員尾上東地区代表理事
・加古川市立浜の宮中学校評議委員
・東播磨防災チーム代表
・わかものと考えるまちづくりの会代表
・令和4年度(2022年度)池田町内会祭り頭人

【前職・元職】
・池田町内会池田連合少年団会長
・アイ・サポート理事
・加古川市立浜の宮中学校PTA会長
・加古川市PTA常任理事
・加古川市社会福祉推進員
・令和2-3年度(2020-2021年度)兵庫県立高砂南高等学校PTA会長
・令和2-3年度(2020-2021年度)兵庫県立高砂南高等学校評議委員
・加古川市PTA連合会常務理事
・加古川市社会福祉推進員

・その他

また、以下の資格等を取得されています。

・ひょうご安全の日推進県民会議認定 加古川市推薦ひょうご防災特別推進員
・ひょうご防災リーダー
・日本防災士機構認定 防災士
・NPO日本防災士会会員
・加古川消防本部認定応急手当普及員
・レスキュー3JAPAN認定
  SRT-1(スイフトウォーターレスキューテクニシャン)
  TRR-T(テクニカルロープテクニシャン)
・一般社団法人日本動物救命救急協会主催一般社団法人日本防災教育訓練センター主催
  国際認定ペットセーバープログラムFR(ファーストレスポンダー)及びERT(エマージェンシーレスキューテクニシャン)
・ガス可とう菅、石綿作業主任、高所作業車技能、ロープ高所作業、その他講習多数取得

日本維新の会ホームページ ー 畑くにお氏

畑くにお氏 FACEBOOK

畑くにお氏 Twitter

畑くにお氏 Instagram

保護司 - 更生保護を支える人々

保護司ひとくちメモ

保護司関係法令
(保護司法、保護司実費弁償金支給規則、他)

畑くにお/加古川市議会議員選挙の学歴は?

畑くにお氏の学歴は、神戸村野工業高等学校電気科卒業です。

大学には進学されていません。

出身高校は?

神戸村野工業高等学校は、神戸市長田区に所在する私立の工業高等学校です。

1920年に財団法人神戸村野徒弟学校として設置を認可されました。翌1921年に神戸村野工業学校と改称して開校されています。

1948年に学校教育法により現在の名称となりました。

現在は機械科(1921年設置)、電気科(1942年設置)、情報技術科(1988年設置)、機械電子科(1995年設置)、普通科(1975年設置)の5科です。開校当時は機械科のみでした。

かつて、紡績分科(1928年設置)や造船科(1942年設置)もありましたが、紡績分科は戦時中の1942年に、造船科は戦後まもなくの1947年に廃止されています。

卒業生の7割が就職、3割が大学か専修学校に進学しています。

科別の就職と進学(大学か専修学校)の比率は、情報技術科と普通科のみ各々50%で、他の科では75%強:25%弱でした。

進学者の内訳を見ると、何れの科でも専修学校が大学を上回っていました。

畑くにお氏が在籍されていた科の情報は見付かりませんでした。在学中には機械科、電気科、情報技術科、普通科の4科が存在していたので、このいずれかになります。

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畑くにお/加古川市議会議員選挙の家族は?

畑くにお氏には、22歳のご子息と18歳のご息女がおられます。(1男1女)(FACEBOOKの2022年4月12日付動画より)

奥様は不在で男手一つで二人を育てました。お母さまが健在です。

畑くにお/加古川市議会議員選挙の年収は?

畑くにお氏は2022年の3月末に退職するまで工務店の事業部長でした。

事業部長は収入としては部長級に分類されるそうであり、部長級の平均年収はマイナビニュースの記事によると約1,000万円でした。

他に、保護司会の常務理事等をされていますが、自身が保護司の仕事をされているか否かはわかりませんでした。

保護司には給与は支給されず、活動内容に応じて実費弁償金が支給されます。

保護司実費弁償金支給規則からは、200万円以上の年間所得は想像できません。

以上を総合すると、畑氏の年収は約1,000万円かと思われます

畑くにお/加古川市議会議員選挙の実績や評判は?

畑くにお氏は立候補は今回が初めてですが、本業の工務店勤務の傍ら、防災士、PTA、保護司会等で大きな足跡を残されてきました。

日本維新の会-加古川市市政対策委員も拝命しています。

地元のために文字通り身体を張ってきた迫力と、人望がひしひしと感じられます。

畑くにお/加古川市議会議員選挙の公約は?

畑くにお氏自身の政策をまとめて語ったものは今まで見つかっていません。

一方で、所属政党である日本維新の会の公式サイトの政策のページを拝見すると、「日本は、もっと強くなることができる。日本が抱える本質的な問題を解決することができれば、この国は再生する。」の文字が目に飛び込んで来ました。

その上で「政策提言 維新八策2021 発表」の文字が続き、国政改革を強く意識した印象を受けます。

しかし、畑氏としては明治維新の志士の姿や理念を自らの内に呼び起こすことによって、生活者としての自身や防災士等として人々に寄り添い続けた者としての市政改革を遂行していくことが本懐と思われます。

FACEBOOKの2022年4月12日付の動画には、自らの歩みと立候補の背景等が詳しく述べられていますが、それ自体が政策と考えるのが、より適切に思われます。

畑くにお/加古川市議会議員選挙の立候補した理由は?

畑くにお氏は、ご子息かご息女が難病を発症する中、男手一つで育て上げられました。

そのこともあってか、本業の工務店勤務の傍ら、防災士、PTA、保護司会等で大きな働きをされてきました。

その目から見て、行政や議会を変える必要性を痛感して立候補されたことがFACEBOOKの2022年4月12日付の動画に詳しく述べられています。

畑くにお/加古川市議会議員選挙の選挙結果は?

畑くにお氏の国・地方公共団体への立候補は今回が初めてです。

畑くにお/加古川市議会議員選挙の引退の可能性は?

畑くにお氏は49歳で初めての立候補ですが、政治家としては際立って遅いとも思えません。

今回の選挙が政治家としての第一歩であり、引退は今回の選挙次第という部分もありますが。

当選する勢いが強く感じられます。万が一落選しても今回で辞めることはしないでしょう。

まとめ

畑くにお氏の歩みには巨大なバイタリティーを感じました。

政治家として稀有な存在と思います。

畑氏に限らず、日本維新の会の政治家諸氏には優秀で改革への熱意に溢れた人材が多いように思われます。

党として、最近議席を伸ばしているのは偶然では無いでしょう。

同党の理念は明確でわかり易く、訴求力があり、それは党としての大きな優位点と思います。

それだけに、同党所属の議員や候補者の方々には、基本理念の振り返りを切に願うところもあります。

というのは、例えば党名の「維新」や党のホームページにある「維新八策」の文言ですが。明治維新や坂本龍馬の船中八策を意識したものと思いますが、正直なところ、筆者としては違和感と持続可能性への疑問を感じている次第なのです。

明治維新を成し遂げた政治家は偉大だったと筆者も思います。異論は全くございません。

日本維新の会の政治家や候補者諸氏に感じる歯切れの良さも彼らに通じるのかも知れないと思います。

ただ、明治維新の行きつく先には第二次世界大戦での敗戦と未曽有の惨事があったことを忘れるべきではありません。

敗戦後4分の3世紀以上に亘る真摯な反省の歩みがあって初めて明治維新の成果が今日正しく評価されて、日本の国際的地位が築き上げられたのが実際のところでしょう。

安全保障環境も含めて現在の日本の諸問題への対応は、少なくとも幕末・明治から平成・令和に及ぶ150年以上の歴史的な観点から行うべきです。

外国からの理不尽な言いがかりがあれば断固とした姿勢で臨むべきですが、それは明治維新だけではなく、戦後の日本の歩みも諸外国から評価されて初めて可能になったといえるでしょう。

ほとんどの人にとって「維新」の言葉から連想する時代は明治時代の一択のはずです。だから、これを言い続けると自分が自分でいられなくなり、今の時代と感覚が乖離してしまうことが怖いと思います。

今(というよりも戦後に)、「維新」の文言を掲げることは戦後4分の3世紀以上の意義のある日本の歩みや歴史を無視して視野を狭める、危険で自らを劣化させる行為に繋がるのではないかと危惧する次第です。

畑氏は経歴を拝見しても、党によらず自身の言葉で語れる政治家になれると感じられます。

それだけに党の制約を受けることがあるとすれば、勿体ないと思われます。

今回は初めての選挙であり、単に無所属での立候補に不安があったということかも知れません。