枝廣淳子の夫家族や経歴は?離婚についても!

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人物

今回の記事では、環境ジャーナリストや翻訳者・通訳者として活躍中の枝廣淳子氏について記事をまとめていこうと思います。

枝廣淳子氏の

・経歴
・学歴
・年収
・家族

などについて記事をまとめていきます。

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枝廣淳子の経歴や学歴は?

枝廣淳子氏の経歴や学歴についてまとめていきます。

枝廣淳子の経歴は?

名前 枝廣淳子(えだひろじゅんこ)
生年月日 1962年11月23日
身長 不明
出身地 京都府
最終学歴 東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了
職業 環境ジャーナリスト
同時通訳者
翻訳者
有限会社イーズ代表取締役
環境NGOジャパン・フォー・サステナビリティ代表
有限会社チェンジ・エージェント取締役会長
幸せ経済社会研究所所長
大学院大学至善館教授

枝廣淳子氏は、1962年11月23日に京都府に生まれました。

京都府にいた頃は、舞妓さんになりたいと思っていたようです。

その後、宮城県に引っ越して、自然に囲まれながら育ちました。

この頃の経験が、後に環境問題に興味を持つきっかけとなったようです。

小学校の頃には、本をよく読み、作文も好きだったことから、作家になりたいと思っていました。

高校は、東京学芸大学附属高等学校に進学しています。

中学・高校では、軟式テニス部に入っていて活発な子どもだったようです。

高校卒業後は、東京大学に進学しました。

大学では、心理学を学びカウンセラーになりたいと思うようになりました。

カウンセラーとして、社会人としての経験が必要だと考え、修士2年の時に、サンマークに入社しました。

1991年頃には結婚されていて、夫の留学のため一緒にアメリカへ行くことになりました。

サンマークの上司からの提案で、「アメリカ支局長」として、日本の情報をレポートする仕事をすることになりました。

29歳でアメリカに渡り、2年間英語を勉強しました。

帰国後は通訳翻訳の仕事をするようになりました。

その後、環境問題に興味を持ち環境ジャーナリストとなりました。

・2002年 環境NGOジャパン・フォー・サステナビリティ
・2004年 有限会社イーズ
・2005年 有限会社チェンジ・エージェント

を設立して、持続可能な社会を目指し活動されています。

さらに、

・福田・麻生内閣の「地球温暖化問題に関する懇談会」委員
・国の審議会の委員
・中央環境審議会委員
・東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会街づくり・持続可能性委員会委員

などを歴任しています。

枝廣淳子氏は、通訳や翻訳のほか、環境ジャーナリストとして企業や地域に対しての支援など幅広く活動されています。

枝廣淳子の本名は?

枝廣淳子氏は、本名で活動されているようです。

枝廣淳子の学歴は?

枝廣淳子氏の学歴ですが、東京学芸大学附属高等学校卒東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修になります。

枝廣淳子の出身高校は?

枝廣淳子氏の出身高校は、東京学芸大学附属高等学校です。

東京学芸大学附属高等学校は、1954年設立の世田谷区にある国立学校です。

「本物教育」を実践し、多くの授業では実物に触れる機会を大切にしています。

タイ王国の学校と交流があり、海外の学生と研究することで国際的な人材育成を目指しています。

参考:東京学芸大学附属高等学校 ホームページ

枝廣淳子の出身大学は?

枝廣淳子の出身大学は、東京大学です。

東京大学は、1877年設立の歴史ある大学です。

国際交流が盛んで、4000人以上の留学生を受け入れています。(2022年現在)

ノーベル賞受賞者や総理大臣など著名人を輩出しています。

参考:東京大学 ホームページ

枝廣淳子の仕事は?

枝廣淳子氏は、「未来は地域にしかない!」を掲げ環境ジャーナリストとして活動されています。

社会のあり方を研究し、人々の幸福度を上げることで、幸せな未来を目指しています。

 

地域のお金を地域で消費してもらうために「漏れ穴」を防ぐことが重要だと考えています。

北海道の下川町では、暖房などのエネルギー需要が約13億円ありました。

エネルギーをまちの中で作るバイオマスに変換する取り組みを行いました。

その結果、約13億円のエネルギー需要のうち約3億円を地域から流出しないようにすることができました。

このような「漏れ穴」を防ぐという考え方のもと、環境ジャーナリストとして地域に貢献しています。

 

2004年に有限会社イーズを設立し、代表取締役を務めています。

この会社は、持続可能な社会を目指し、講演活動やコンサルティングを行う会社です。

2005年には有限会社チェンジ・エージェントを設立し取締役会長を務めています。

チェンジエージェントは、変化の担い手という意味です。

システム思考と学習する組織の方法論に基づいて、持続可能な社会のためのチェンジエージェントを育成しています。

さらに、社会を変えるために発信できる人を増やしたいという思いから、大学院大学至善館教授を務めています。

 

枝廣淳子氏は、2007年にアメリカの元大統領アル・ゴア氏の著書「不都合な真実」を翻訳しています。

この著書はノーベル平和賞を受賞した著書として有名です。

地球温暖化による環境問題を症例写真と共に紹介した本です。

 

枝廣淳子氏は、自身の著書も出版しています。

2021年に「好循環のまちづくり!」を出版しました。

持続可能なまちづくりの方法を学ぶことができる本です。

枝廣淳子の家族は?

枝廣淳子氏の家族は、父・母・夫・子2人がいるようです。

お父さんは、転勤が多いお仕事だったようです。

 

お母さんは、教育熱心な方で、本をよく買ってくれたようです。

お母さんの影響で、本が好きになり、翻訳の仕事をするようになったのかもしれませんね。

 

旦那さんとは、大学生の時に結婚されています。

個人的な予想になりますが、学生結婚ですので、旦那さんは同じ大学の可能性がありそうです。

 

枝廣淳子氏の離婚について調べましたが、情報は得られませんでした。

「朝2時起きで、なんでもできる! 2」では、夫を協力的にする教育法について書かれていることから、離婚している可能性は低いと思われます。

 

お子さんは2人で、娘さんがいるようです。

娘さんは、3歳までアメリカで育ちましたが英語は忘れてしまったようです。

娘さんが英語を勉強したいと思ったときに集中して勉強したほうがいいと考え英語教育はされなかったようです。

枝廣淳子氏は、娘さんの何かをやりたいと思う気持ちを大切にされているのですね。

枝廣淳子の年収や月収は?

枝廣淳子氏の年収は、およそ2,700万円と予想しました。

枝廣淳子氏は、

・通訳
・翻訳
・会社役員
・大学教授

などのお仕事をされています。

年収を予想した根拠について解説していきます。

 

通訳者の平均年収は400〜800万円ほどのようです。

枝廣淳子氏は他のお仕事もされていますので、通訳の仕事の年収は300万円と予想しました。

 

翻訳者は、平均年収474万円ほどのようです。

枝廣淳子氏は他のお仕事もされていますので、翻訳仕事の年収は300万円と予想しました。

 

会社役員について予想していきます。

資本金2,000万円未満の会社の役員の平均年収は605万円ほどのようです。

枝廣淳子氏は3社の役員を務めていて、有限会社イーズと有限会社チェンジ・エージェントは資本金300万円ほどのようですので平均よりは低いと思われます。

枝廣淳子氏の役員報酬は、3社合わせて1,000万円と予想しました。

 

大学教授の平均年収は1,100万円ほどのようです。

枝廣淳子氏の大学教授としての年収は1,100万円と予想しました。

 

通訳 300万円
翻訳 300万円
会社役員 1,000万円
大学教授 1,100万円
年収 300万円+300万円+1,000万円+1,100万円=2,700万円

以上の結果から、枝廣淳子氏の年収は2,700万円と予想しました。

参考:気になる通訳の年収・給料情報

参考:翻訳の仕事の年収・時給・給料

参考:執行役員の年収はいくら? 役員退任後の処遇についても解説

参考:大学教授の年収はどのくらい?仕事内容や、ライフスタイルも解説

まとめ

今回の記事では、枝廣淳子氏について記事をまとめてみました。

29歳から英語を学び翻訳者・通訳者として成功されています。

環境ジャーナリストとしても地域に貢献していて幅広く活躍されていますね。

さまざまな活動を通して、これからも社会をより良くしてほしいです。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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