足立康史/日本維新の会代表選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果も!

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党代表

松井一郎代表の辞任に伴う日本維新の会代表選挙(2022年8月14日告示、8月27日投開票)に足立康史氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので足立氏に関する情報をまとめています。

足立康史氏の

    ・経歴
    ・学歴
    ・ご家族
    ・年収
    ・実績や評判
    ・公約
    ・その他

などについて記事をまとめていこうと思います。

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足立康史/日本維新の会代表選挙の経歴や家族は?

名前 足立康史(あだちやすし)
生年月日 1965年10月14日
出身地 大阪府泉大津市生まれ、茨木市育ち
最終学歴 京都大学大学院工学研究科修士課程修了、アメリカ合衆国コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了
職業(前職) 衆議院議員
趣味 水泳?水球?

足立康史氏は大阪府泉大津市生まれ、茨木市育ちです。小学校から高等学校まで地元茨木市でした。

府立茨木高校を卒業後、京都大学に現役で進学し、工学部土木工学科を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了を修了。通商産業省(現・経済産業省)に入省します。

高校・大学では水泳部(水球)に所属し、高校時代にインターハイと国体に出場、大学時代は主将も務めて関西リーグ4連覇も経験しています。

通商産業省に入省後、同省からアメリカ合衆国コロンビア大学国際公共政策大学院に留学し、修士課程を修了しました。

20年間の経済産業省勤めで10局回ったジェネラリストで、経験していないのは特許庁のみ。通商交渉から新エネルギーまで、多くの分野で活躍されてきました。

本人が一番の功績と考えている仕事は、ジョブカフェの設置、デジタルテレビのダビング10(著作権保護のためのコピーガードの一種)のルール作りとのことです。

元々政治家になる考えはありませんでしたが、東日本大震災の時の民主党政権の対応に失望し、「自分が大臣をした方が百倍マシ。」と考え、2011年3月に官僚を辞め、同年4月に地元で政治活動を開始、更にその半年後に「みんなの党」に入党しました。

1年後の2012年9月に橋下・渡辺会談決裂により国政政党「みんなの党」と地域政党「大阪維新の会」との共闘構想も消えます。

その時に「みんなの党」に見切りをつけて日本維新の会の結党に参加、同年の衆議院議員選挙に初当選しました。

以来、現在まで計4期連続で衆議院議員に当選しています。(比例区での復活含む)

自身の考えを広く有権者に伝えるために、単著・共著各3冊を世に問うていて、『国会という茶番劇』には新しい国家ビジョンを示しているとのことです。

足立康史氏 公式ホームページ

足立康史氏 FACEBOOK

足立康史氏 TWITTER

日本維新の党 足立康史氏ページ

足立康史氏について➀

足立康史氏について➁

足立康史氏について➂

維新議員の人生深堀り企画!足立康史編 動画(2021年10月10日)

足立康史/日本維新の会代表選挙の学歴は?

足立康史氏の学歴は、大阪府立茨木高等学校卒業 → 京都大学工学部土木工学科卒業 → 京都大学大学院工学研究科修士課程修了、アメリカ合衆国コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了です。

出身高校は?

大阪府立茨木高等学校は大阪府茨木市にある公立高校で、1895年に大阪府第四尋常中学校として創立されました。

創立後2年ほどは市内にある総持寺(高野山真言宗)に仮校舎が置かれていたそうです。

大阪府屈指の名門校でグローバルリーダーハイスクールにも指定されていて、学区では最難関グループに属しています。

川端康成は同校の卒業生です。また、政財界、オリンピックにも著名人を輩出してきました。

日本近代水泳発祥の地として有名で、茨木高校の水泳部はクロール泳法を日本に広めるきっかけを作ったと言われています。

みんなの高校情報 大阪府立茨木高等学校

出身大学は?

京都大学、同大学院

京都大学は京都市左京区に本部を置く国立大学です。

日本で2番目に創設された帝国大学である京都帝国大学の流れを汲み、大学入試においては東京大学と並ぶ日本トップクラスの最難関大学です。精神的な基盤として、「自由の学風」を謳っています。

1869年に設立された、大阪の舎密局(せいみきょく)と洋学校とを合併した後に何回かの改称を経て、1886年に第三高等中学校となり、1889年に京都に移転。1894年に第三高等学校と改称しました。

1897年に京都帝国大学設立。戦後の1947年に京都帝国大学を京都大学に改称し、1949年に新制大学として設置されました。

現在、以下のとおりの学部・大学院を擁しています。

・学部 …総合人間学部、文学部、教育学部、法学部、経済学部、理学部、医学部、薬学部、工学部、農学部

・大学院 …文学研究科、教育学研究科、法学研究科、経済学研究科、理学研究科、医学研究科、薬学研究科、工学研究科、農学研究科、人間・環境学研究科、エネルギー科学研究科、アジア・アフリカ地域研究研究科、情報学研究科、生命科学研究科

湯川秀樹博士をはじめ、ノーベル賞受賞者も大勢輩出しています。

【参考】みんなの大学情報 京都大学

コロンビア大学国際公共政策大学院

コロンビア大学国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs; SIPA)は、1946年に設立された大学院で、米国ニューヨーク市マンハッタンの北西部にあります。

US NewsのBest Public Affairs Schools (Global Policy and Administration Programs)(2019)のランキングで第1位となっており、ハーバード大学ケネディスクール、プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクールと並び国際公共政策分野における世界最高峰のスクールの一つです。

公共政策大学院は、専門職大学院の一種です。

目的は「高度専門職業人の養成」であって、研究者の養成は基本的に想定していません。

ただ、日本の国際公共政策大学院は、政府や政府関係機関への就職の窓口という位置づけに事実上なっているところがありますが、アメリカでは、より幅広い人間を対象に、NPOも含めて幅広く「公共」に関わる出口を提供しています。

日本でそれに近い役割を果たしているところは、松下政経塾あたりだそうです。

なお、コロンビア大学(Columbia University in the City of New York)は、イギリス植民地時代の1754年にキングズ・カレッジ(King’s College)として創立された私立大学で、全米で5番目に古い大学です。

卒業生や教員を含めたノーベル賞受賞者数は、1901年以降の累計で世界第5位の100名に達します。

日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹氏はコロンビア大学助教授在職中の受賞だったそうです。

また早くからアジア地域研究を重視し、数多くの日本研究者を輩出しました。角田柳作氏により日本文化研究所を設立されたことや、日本学者のドナルド・キーン氏が同研究所で角田氏の弟子だったことも有名です。

以上、次の記事を参考にしました。

コロンビア大学SIPA 留学記

公共政策大学院という選択

・Wikipediaの「コロンビア大学国際公共政策大学院」「コロンビア大学」の記事。

足立康史/日本維新の会代表選挙の家族は?

足立康史氏は奥様とご子息一人の3人家族です。

奥様は東京大学を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省(途中ハーバード大学に留学)されていて、現在はIAEA勤務です。ヨーロッパ駐在だそうです。

因みに、足立氏は「自分はハーバード大学に入れずにコロンビア大学に行った。小泉進次郎氏は自分に憧れてコロンビア大学に来た。」と述懐されています。

大学時代の七帝戦で、当時水球部の主将だった足立氏が、平泳ぎの選手だった一歳年下の奥様と出会われたそうです。

関西と関東との遠距離恋愛の末、26歳と25歳で結婚されました。

足立康史氏 家族

足立康史/日本維新の会代表選挙の年収は?

足立康史氏は現在、衆議院議員です。

国会議員の給料は「歳費」と呼ばれ、法律で決められています。議長などの役職についていない一般の国会議員の「歳費月額」は、約130万円です。

また、ボーナスにあたる「期末手当」が年2回支払われ、年収は2000万円以上となります。

(「政治家の気になる?年収・給料・収入」「議員の待遇って?…」より)

足立康史/日本維新の会代表選挙の実績や評判は?

公式ホームページの政策ページに足立康史氏の実績が詳しく掲載されています。

精力的な活動は、元経済産業省の面目躍如といったところでしょうか。

また、前掲の維新議員の人生深堀り企画!足立康史編 動画では、地元大阪の選挙民から慕われている様や気さくでエネルギッシュな姿が窺えます。

一方で他党に暴言を吐く場面(参考動画)もあり、不必要に敵を作っていないか、気になるところでもあります。

著書も単著・共著各3冊あります。表題や目次を見る限りでは、過激かつ切れ味のある主張が窺えます。

語りかける力は尋常ではないように筆者には思われました。

足立康史/日本維新の会代表選挙の公約は?

8月1日の会見で、足立氏は政党ガバナンス、身を切る改革、政権担当能力の改革を政策方針に掲げました。

前掲の公式ホームページの政策ページを見ると、政策の論理がしっかりしている上に、過去の発言からの矛盾も少ないと思われます。

筆者としては斬新さが感じられ、熟読したい気分にもさせられる内容です。(例:憲法裁判所の設置。旧民主党の菅直人首相は当時、「最高裁判所は憲法裁判所の役割を果たしていない。」として憲法裁判所の新設を訴えられていたが同様の主張か否か?)

引用された党是「維新八策」の名称には、今とは全く国体・国際情勢の異なる150年以上前の時代の坂本龍馬の「船中八策」を連想させられて違和感を感じますが、代表選挙の場合は党是への言及は仕方がないかとも感じました。

ただ、安全保障や改憲問題への言及が少ないことが気になりました。

足立康史/日本維新の会代表選挙の立候補した理由は?

足立康史氏は、8月1日午後、国会内で記者会見し、「橋下徹氏と松井代表は、カリスマ的とも言える個人の人間的魅力で党を引っ張ってきたが、ピラミッド型になりつつある党の組織を抜本的に見直さなければ、さらなる飛躍は難しい。私が提案するのは国会議員と地方議員、党員による徹底した横並びの確立だ。」と述べ、代表選挙への立候補を表明しました。

そのうえで「私が提案するのは『党員民主主義』の仕組みで、国会議員と地方議員、党員による徹底した横並びを確立することだ。集団指導体制を事実上、具体化する構想であり、こうした新しい党の組織を作る能力は私にしかない。」と述べました。

維新 足立康史衆院議員 代表選への立候補を表明

前掲の「維新議員の人生深堀り企画!足立康史編 動画(2021年10月10日)」は昨年の衆議院議員選挙直前のものですが。

末尾の方で「これまでの10年間は、日本維新の会の国会議員は本拠地大阪からの出先機関だった。しかし、既に同会は東京・関東でも多くの候補者を擁立している。これまでは大阪都構想や大阪のIRのための法律整備をしてきたが、日本全国のための法律整備をしなければならない時代が2021年から始まっている。」とも話されていました。

端的にいうと、日本維新の会を地域政党から真に国政政党に生まれ変わらせるために立候補した。それができるのは自分しかいないとの信念をお持ちということでしょう。

足立康史/日本維新の会代表選挙の選挙結果は?

足立康史氏は2012年から衆議院議員大阪選挙区で連続4選されています。いずれも日本維新の会・維新の党からの比例区との重複での立候補です。

自由民主党の原田憲治氏との接戦が続いていて、2,3選目は比例区での復活当選ですが、直近の4選目は堂々の小選挙区での当選を果たしています。

詳しくは以下のとおりです。

【衆議院議員選挙 小選挙区 大阪9区】

投票日2012年12月16日 足立 康史(新人)(日本維新の会)  104,015票(当選)
原田 憲治(前職)(自由民主党)    89,671票(比例復活当選)
大谷 信盛(前職)(民主党)      46,550票(落選)
末武 和美(新人)(日本共産党)    20,891票(落選)
投票日2014年12月14日 原田 憲治(前職)(自由民主党)    95,667票(当選)
足立 康史(前職)(維新の党)     91,400票(比例復活当選)
垣田 千恵子(新人)(日本共産党)   31,165票(落選)
辻 恵(元職)(無所属)        13,264票(落選)
投票日2017年10月22日 原田 憲治(前職)(自由民主党)    93,475票(当選)
足立 康史(前職)(日本維新の会)   91,438票(比例復活当選)
服部 良一(新人)(社会民主党)    44,589票(落選)
投票日2021年10月31日 足立 康史(前職)(日本維新の会)  133,146票(当選)
原田 憲治(前職)(自由民主党)    83,776票(落選)
大椿 ゆうこ(新人)(社会民主党)   42,165票(落選)
磯部 和哉(新人)(無所属)      5,411票(落選)

足立康史/日本維新の会代表選挙の引退の可能性は?

足立康史氏は政治家としては若い56歳です。

才知に溢れ、輝かしい経歴の持ち主で、しかも動画では意欲溢れる様子とユーモアのある人柄が窺えました。

これからの益々の活躍が期待され、引退を想像することは困難のように思われますが、一方で、「日本のトランプ」の異名も取るような過激発言・暴言・野次で他の野党から懲罰動議を提出されたこともあります。

無用な敵を作って、思わぬところで政治生命を危うくされないか、心配されるところもあります。

まとめ

日本維新の会の松井一郎代表は、自身の後継を決める党代表選について、「政策を競い合うものではない。誰が組織を引っ張るのかを決めるものだ。」などとし、後継指名はしないものの、支持する候補者を明らかにするとしていました。

対して、足立康史氏は「政策論争をすべきだと思っている。」と反論した上で松井氏の支持候補者の表明について「本当にそうされたら、支持表明された方に決まると思う。松井代表が否定して来られた事実上の後継指名に匹敵する事態。大変、困惑している。」などと回答していました。

果たして、松井代表は馬場伸幸共同代表への支持を明言しました。

馬場氏は堺市議会議員からの叩き上げであり、まとめる力を買われたようです。エリート出身で相手を論破する傾向が見受けられる足立氏とは好対照の印象でした。

松井代表によると、「僕が代表に就任してから幹事長、共同代表として組織の屋台骨を支える仕事をしてきた。次の代表として馬場氏を応援したい。」「馬場氏以外では党内をまとめるのが難しい。」「他の候補予定者3人について、出馬理由が明確ではない。」とのことでした。

この点については筆者には、足立氏の出馬理由は十分明確であり、「政策論争をすべきだと思っている。」との主張も松井代表よりも理において優っていると思われます。

政策論争がなされるべきであることについては、一般論だけではなく、以下の背景から筆者には今回特にそう感じられる次第です。

先日の参議院議員選挙(2022年7月10日)を目前に控えた時期のNHKの日曜党首討論で、松井代表が「憲法改正はスケジュールとタイムテーブルを決めて進めるべきだ。そうしないとできない。」の趣旨の発言をされていたことに筆者は大変困惑しました。

岸田首相は「松井代表は、そんなことは無理だとわかっていて仰っているのではないか?改憲勢力が2/3に達したから改憲発議ができるというものではない。どのように改憲するかの方向性・案がまとまって、その案に2/3以上の支持を得られなければ改憲発議などはできない。」と反論されていたことも印象的で、至極真っ当な発言と思われました。

別の番組で、元防衛大臣の石破茂氏も日本維新の会や参政党の改憲姿勢の前のめり・粗雑さ・危うさを指摘されていました。

自由民主党の中では改憲に慎重と思われる岸田首相ならばまだしも、防衛大臣として改憲を具体的に検討されてきた石破氏にまで批判されるのでは、政党としての存在意義が危ういのではないかとも感じられます。

尤も石破氏は実際に改憲の検討に当たられているからこそ、危うさがよく理解できているのかも知れません。

政策については、「どこまで主張するか?ここまで主張してしまっては党がまとまらないのではないか?」というところは、確かにあるでしょうが、松井代表の前出の「(代表選挙は)政策を競い合うものではない。」発言は違うと思われます。

憲法を強引に変えようとしておいて、自党は強引に守ろうとするのであれば、違和感を感じるのは筆者だけではないでしょう。

「今日の厳しい安全保障環境には護憲を叫んでいるだけでは対応できない、改憲論議をタブー視すべきではない。」との主張は理解できます。

ただ、現行憲法下でも現在、ある程度の安全保障上の対応はできていることも事実です。

筆者は自由民主党支持者ではありませんが、改憲に手を付けずに解釈を変更した安倍晋三元首相は慧眼だったと思います。

安全保障上の脅威への対応に不十分な面があっても、「本当に法制度や解釈をこれ以上変える必要があるのか?必要があっても、時限立法も含めて個別の法律で十分ではないか?本当に憲法改正まで必要なのか?」は当然精査されるべきでしょう。

その中で改憲論を煽ることによる罪悪は、護憲の主張が誤っていた時と違って「覚悟がない」と非難されることでは済みません。

安全保障上の脅威を前にして、改憲論を煽るなどと悠長で無益なことをしているのではなく、現行憲法下で可能な具体的な対応を精査して進めることこそが現実的で、かつ、あるべきことでしょう。

その上で法律策定の要否があり、どうしても改憲が必要とすれば、その後つまり最後に来る筈で、それは最小限に為されるべきなのです。筆者はそう考えます。

国防には主体性が必要としても日本周辺の国防を日本だけで決めていくことはできず、戦後3/4世紀を超える平和憲法下の日本の歩みへの同盟国・諸外国からの信頼もその点の重要な要素でしょう。

安倍元首相の「自由で開かれたインド・太平洋」構想やQUADが世界で受け容れられた背景も、そういったものでした。

以上により、足立氏の主張には、賛成できないところも少なからずあるものの、代表選挙に臨む姿勢に限っていえば理があると考える次第です。

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